小松:私は12年前にエサレン®︎ボディワークを学んだんですね。
バリ島で1か月リトリートで。
朝はダンスやヨガから始まって自分をほぐし、
そのあとマッサージテーブルに行って練習して。
参加者全員と衣食住を共にするという1か月でした。
ティーチャーの意向で
「バリ島に対して素晴らしい場所貸して下さっている恩返しがしたい」
ということで、
現地の人をインターンとして受け入れていました。
バリ島ではマッサージができるとすぐに仕事になるため、
社会貢献にもなるわけです。
バリ島にとってはマッサージは「まず食べていくため」のことで、
そこにホスピタリティのクオリティをどこまで出すかは
結構難易度が高いことなんですね。
エサレンのコースで一緒だったインターンさん達というのは、
ただただ言われたとおりに素直にやっていくのだけれど、
姿勢と呼吸を整えて、
相手のことを思いながら、
境界線を保ちながら、触る、
このスピードで…、
ということをやったときに、
現地の高級スパよりもずっと気持ちがいいんです。
もちろん身体に対する知識はないから、
技術の未熟さはあるんだけれど。
「何この気持ちよさ!」みたいな
不思議な浮遊感は、
音楽的な間とかそれを構成する呼吸や姿勢から生まれるんだなということを、
その時すごく感じました。
十音――朝の、ほぐしのための音楽は、どういうことをやったんですか?
日によって違うんですけれど、
2日に1回はフロー系のヨガ。
ダンスは、ティーチャーのエレンが
「5リズム」のティーチャーでもあって、
陽気な曲が流れたりメロウな曲が流れたりして、
それに乗ってみんなが踊っていました。
別の視点で面白かったのは、
ダンスの日に「今日は関節を一個ずつ動かしてください」と言われて。
音楽が鳴っていて関節を動かしていると、
恥ずかしがりな人も気がつくと踊りになっているのね。
腰を動かして、首を動かして、
あら、踊っているねって。
――「踊りなさい」って言われるんじゃないということですね。
踊れって言われたりもします。
でもエサレンは「尊重」をするので、
やりたくなかったらやらなくていいんですね。
クラスをパスしても別にいい。
隅っこでゆらゆらしている人は、
それが今のその人の在り方なんだなというだけで。
その後で1日の間に何回かシェアタイムがあるので、
「あなたは」どういう感じがする?
というのを必ず聞くんですよ。
――歌え、踊れ、と言われると
その途端に身体が固まって、
心細い感じになることもあると思うんですが…。
そのエサレンだったり、
あとエジプトで踊っている写真
(小松さんのブログ:エジプト〜死と再生のイニシエーション⑤ より)
の中の小松さんは、何に守られているんでしょう。
何に守られている気がしますか?
実は大学まではカラオケで歌うのも嫌いな子だったんですよ。
それに今も、自分が目立ちたいわけではないんです。
レコード会社の宣伝部って、
「アーティストという他人」を目立たせなくてはいけない仕事なんです。
当時の私の最終目的は
アーティストさんを目立たせるために、
必要だから目立つことで、
私を見てほしいわけではなかった。
でも、そこでまず自分のキャラクターの押し出しが強くなったんです。
ああ、でもその前から素因はありました!笑
「米米クラブ」のファンクラブ会員だったんですよ。
米米のライブって全員が同じ振りで踊りだすという、
むしろそういう形で守られた場だったし、
誰も私のことは見ていないから踊れましたね 笑 。
でも、もうちょっと自然に踊りだせるというのは、
やはりエサレンの時の経験が大きいかもしれませんね。
――「尊重」されている感じというのは、
もうちょっと言葉にするとどんな感じですか。
尊重されている感じ…の前に、
「他人は私のことはそんなに見ていない」と気づいた、
というのがあると思うんですね。
20代の頃はあるミニマルテクノのDJが好きで、
そのDJのためだけに終電で大阪に行き、
テクノイベントに行って、
一人で水だけで朝まで踊っていたりしました。
今思うとやっていることは
完全に踊るメディテーション、瞑想だったんです。
そんな中で、どちらかというと
「守られている」以前に、
他人は関係ない、
自分が自分を守る「場」の磁場をおのずと形成する、
ということを体感した感じですかね。
――自分の中身を見ている感じですか。
ある種の内観でもあるかもしれません。
自分と音楽だけの世界に行きたいんだけれど、
クラブだし便宜上他人がいる、というような。
――音楽のマネジメント側だったのが、
リフレクソロジーを始めたときに、
自分がプレイヤー側になった気がしたんです。
今までは見られない存在だったのに、
セラピーを始めてから観察し、観察される存在になった。
それが私のコリにもなっているかなと思います。
見られるストレスとは?
――自意識、ですね。
「見て、見られている」関係を
どういう風に扱っていくかということ。
人と向かい合う上での
自分の身の処し方(型)なんですけれど…
…その話に繋がるかはわからないのですが…。
>>③へ続きます。