*そのしごとに、愛はあるか、プロフェッションにしているか自分に質す
ルネサンス時代の、人体解剖の歴史に興味がありました。
バロックのオーバーアクションでは、
絵画も彫刻も、
盛り上がったり一筋緊張したりしている、
克明な筋肉の線から、
人間の気の張り加減や、悲しみや痛みの度合、
感情の表現を過剰に感じ取りますが、
それへの過渡期、発見の時だからです。
考えてみれば、イタリアでは100歩歩けば一つは出会うかのような
キリストの磔刑図だって、
浮き出た肋骨の下の、
深くえぐれたお腹の腹筋、
掌にかかる体重を想像できるよかのような、
大胸筋のぴんと張ったわき、
膝はゆるく曲がっていることが多いですが、
釘の突き刺さった甲の筋、
と
肌肉の表現から視覚にはいってきて、
見る私の中で心身の苦痛に変換され、
無力感でいっぱいだっただろうな、と想像する。
(生まれた時から死ぬまで当然のように、
これほどの拷問図と共に生きるって、
もちろん身体観や死生観が違うだろうとも想像する)
また、人体を剖き解してみたいという願望が、絵画や彫刻の分野から発せられているという、興味の出どころが面白いし、
熱心な観察(模写)が結果、医学の発達に貢献したという二人三脚ぶりも、
現代に忘れられつつあります。
そういう風にしてすべての科学がつながっている時代だったと想像する。
上野でやっていた「人体」展や、
「ほぐしをほぐす」の解剖実習の話や、
番頭がヴェネツィアは行くと言っているなど、
いろいろが重なって、
今回、パドヴァとボローニャに行かずにどうする。
ということで、ヴェネツィアからボローニャの途中下車で、
まずはパドヴァに降り立ちました。
落ち着いた街です。
なぜか街中で写真を撮る気にあまりならず、
無口に歩きました。
パドヴァ大学に行きついたのですが、
ツアーもお昼休み。
回廊を埋め尽くす中世からの卒業生の紋章に圧倒されます。
出身地と、ひとつひとつ違う絵。
この卒業生名簿はヨーロッパ最古のボローニャ大学を倣ったのかと思うのですが、
植物を持った手だけとか、意味深な紋章もあって、見ていて飽きません。
街の大聖堂も、おひるの3、4時間はお休みです。
鉄板のように熱くなったこの広場を横切ることを考えただけで、
気の遠くなるような、
暑い午後。
ここから歩いて15分ぐらいのところにある、
パドヴァ大学付属の植物園(オルト・ボタニコ)へ。
ここも世界文化遺産です。
世界最古とか、研究施設植物園として最古とかいろいろ言われていますが、
ヨーロッパの植物園はエリアの切り方から
景観というより思想しようとしているようで、面白い。
静かに堂々とそこにある。
左の柱にORTO、右の柱にBOTANICOって彫られているんですが、
この門の佇まいが、まず入る人の心を質してくるというか…
教会もそうですが、門は狭く、
入ることを許されると想像もつかなかったようなでっかい空間が迎えてくれます。
それにしても…あまりの暑さで、薬用植物も少々ぐったり。
植物園にある薬用植物って、小石川の漢方もそうですが、
あまり効きそうに見えないですよね…笑
ゲーテが見て自然観にひらめいたという、
「ゲーテのヤシ」も見て、
(彼は銀杏からもひらめいているらしいし、五行的なひとだ)
暑さにのぼせながらパドヴァ大学に戻りました。
次のツアーがイタリア語のものしかなくて理解がたりないのですが、
大講義室の前室にある、
フランシス・ウォルシンガムの肖像画に結構テンションがあがります。
映画「エリザベス」でジェフリー・ラッシュが演じていた
KGBもびっくりであろう諜報本部長さん、
イングランドに呼び戻されるまで、パドヴァ大で学んでいたんですね。
プロテスタントだったと思うけれど、さすがリベラル派、
その辺はおおらかだったのかもしれません。
人骨が並んだ講義室にも入ります。
並んだ頭蓋骨は歴代解剖学教授のものだと、あとから知りました。
学生が解剖したそうな。
解剖学教室(テアトロ・アナトミコ)は、
アリジゴクのような、巻貝を逆さにしたような形をしています。
写真は禁止です。
見学者は、死体を準備したという前室から、
死体を持ち上げる直前の小部屋まで入ることができます。
そこから見上げると、巻貝の内側、手すりがそびえたつのが見えます。
暗い。
暑い。
「人体」展でフィーチャーされていた、
16世紀の解剖教本「ファブリカ」はヴェサリウスさんによって、
パドヴァ大学でうまれましたが、
ここでの模写からのみ生まれたとは
にわかに信じがたい。
写真もない時代に、
この環境でそんなに解剖体を凝視できたんだろうか。
一番上のほうの手すりにいた学生は、
細かいところは見えなかったと思います。
自分より下段の人の蝋燭の光が目に入って眩んでいたと思うし、
とにかく、この「劇場」の天井近くはすごい温度に達していたと思う!
この旅で何位かを争う目的地だったのにも関わらず、
死体のあった場所から上を見上げていると、
ずっと居たいとは思えなかったのが興味深い。
後から思えば、
それがローマのカタコンベ内、地中の感覚と同じだったのも興味深いことでした。
ルネサンス様式というそうですが、
美しい柱廊に囲まれた中庭があって、
こじんまりとした印象をうけます。
この廊下を歩いていくガリレオ・ガリレイとか、ダンテ、ペトラルカ。
想像すると不思議な気分になる。
個人の想像力とか探求心って、無限だ。
こんなに小さなところからあんなに壮大な世界を書くのだから。
わたしは大学時代
個人の技術を磨くということに偏っていたこともあり、
先人が切り開いた研究を、責任をもって継いで発展させるという
どちらかというと科学的な「使命」をあまり感じていない学生でした。
(しかし総合大学の利点を生かして、
おとなりの舞踊科にも、哲学科にもゼミや美学の講義を受けにいったし、
リベラルなほうではあったと思いますが)
しかしリフレクソロジストになってみて、
「先人」というのを意識するようになりました。
古代からつながる足への探求心。
アウトプットは足への刺激という、
シンプルで原始的なことで変わっていないのですが、
Reflex "ology" 反射「学」がつくからには、
その一刺激に先人の経験が結晶していることを再確認します。
プロフェッションとは、
神に誓う使命のあった職、
すなわち、神官、法曹人、医者だったということですが、
ルネサンスの宮廷人たちの
分野横断的なオールマイティさをもってすれば、
(医者で、天文学者で、哲学者であった、などという肩書はザラ)
どの分野もプロフェッションに属するのだと思います。
先日書いた、ナポリの周遊鉄道の運転手さんだって、
安全を誓ってしごとをしていたし。
イタリアの古い大学には、
彫像にゆびさされた格言らしき文章がたくさんあって、
ラテン語だったりするので全く読み切れなかったのですが、
ようは学生は、
建物に来れば「使命」を思い出すようになっている。
ちょっと重たいけれど、
そこからルネサンスという時代が花開くなんて、かっこいい。
→ボローニャの解剖学教室について続きます。
(後記)
大学が人を「育てる」場所かはちょっと疑問があるのですが、
そして、今のアメリカの状態をみるとこのリベラルアーツの使命はまだ果たされていないのかなとも思うけれど、
こういうことだなと思う。
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