私は「セラピストのシャベリ場」という、
ブランディングと宣伝についてセラピストさんとしゃべる
という場を主宰しています。
昔、私はレコード会社の宣伝部だったから、
人を目立たせるために
自分が目立たなければならなかった。
でも、フリーランスのセラピストになった今は、
宣伝=自分。社長=自分。経理=自分。営業=自分。
アーティスト=自分。全部自分です。
となると、結局自分が目立っていかなくてはいけないから、
矢面に立つのはアーティストさんだと思えば
我慢できていたことが、
全部自分に向ってくるようになる。
施術の評価も、文章の発信も。
それは、相当イヤでしたよ!笑
それでも書くのはなぜかと言えば、
自分がしている施術を知ってもらわなければ、
お話にならないというのが
フリーランスのセラピストだから。
そこは丁寧に世の中に対してお伝えする必要がある。
私、サロンを開くのに10年かかっているんです。
それは、かかっているというよりは、
いろいろな理由で「やりたくなかった」からですね、
正直言うと。
まず、サロンを構えたら当然のことである
「同じ場を維持する」ことが苦手だという自覚があったから。
そして、「自分が前に出る」のもイヤでした。
でも時期的なこともあって
やらざるを得ない方向に矛先が向いたと感じた
40歳の時に始めました。
30歳でセラピストになってから
10年間色々なセラピストを見てきたんですけれど、
やっぱり皆、奥ゆかしいんです。
皆さん受容はとても得意。
だからこそ癒すのに適していると思うんですけれど、
自分が前にでるということに関しては意識がない。
例えば、サロンを始めた友達が、
「お客様がこないな…」と落ち込んでいるんだけれど。
宣伝部の目線で言うと、
人が来ないと言う前に、
あなたがサロンをやっていることを誰か知っていますか?と。
「えっと…あの子とあの子」
「その中の人が来ると思う?
来ても月に1回だとしたら?」
これは、すごく初歩的な計算ですけれどね。
そういうことは考えずに
自家中毒みたいに落ち込んでいる。
そうやって、人を癒すために始めたことなのに、
自分が病んでいくということも結構見たので…
自分は正直やりたくなかったんです。
でも、サロンを始めるときは
他人の助けを借りてやることになったので、
その方に対する責任もありますし、
やるとなったらちゃんとやらなくちゃと思いました。
そこで「アーティストは自分だ」ということになって。
でも自分のために場をセッティングしてくれた人から
「ウェブサイトを作った方がいい」と言われて。
当然それは自分でも分かっていたのですけれど。
「小松さんの場合は、色々なことをやっているから、
サロンの名前ではなくて<yurikokomatsu.com>がいい」って!
「ヒィー!!!自分の名前にドットコムとか本当に勘弁して下さい…」って、
抵抗に次ぐ抵抗をしましたが、
閻魔さまみたいなオーナーがおられたので
やらざるを得なくなり…笑。
ただ、アーティストの宣伝部として考えたなら、
「恥ずかしいものを世に出すな」というアタマはある。
最終的には宣伝マンとしてのプロ意識が
自意識を抑えました。
音楽業界の時に聞いた話で、
あの矢沢永吉さんが、
「矢沢さん、こういうのどうですか?」
って訊かれると、
「ああいいよ。オレはいいと思うけれど、『YAZAWA』はどうかな。」
って言うそうです 笑
その感じが私にはすごく刺さっている。
矢沢永吉さんは
「YAZAWA」というブランディングができているんですよね。
――では、前述のエジプトブログの写真も…
小松さんではなくて「Yurikokomatsu」が、
カメラの前で剣を持って踊っているんですね。笑
ははは 笑
やっぱり「YAZAWA」が勝つんです。
「個よりもYAZAWA」という認識がもうできてきているので。
2000年代の初め、
私がセラピーを始めたころというのは、
自宅サロンと一般サロンのクオリティに差があった時代なんです。
サロンをやろうと思ったら、
結構ちゃんと路面店をやったりとか、
宣伝を考えたりしなくてはならなかった。
SNSがなかったのが大きいと思います。
サロンは見えるところに置かないといけなかった。
当時に集客できずに終わっていく人は、
HPを作っても拡散する術がなかったんです。
情報誌に載せるしかなかった。
でも私が10年間セラピストをやっている間に、
ミクシィが現れ、ツイッターが、フェイスブックが…
全部が無料でできるようになりました。
そういう土壌ができていたから、
「あれ、出口がいっぱいあるな」と宣伝部目線で思い、
10年もセラピストやっていて
施術をちゃんと提供する場所がないって
若干「丘サーファー」感が否めないのでは、と笑。
キャリアと年月による圧力みたいのが
自分に対してかかってきたの。
「場所がないって、どうなのかな」って。
10年たったから、
ちゃんとしたことがやりたいなと思った時に、
「お金だすからやらない?」っていう神の手が表れて、
やることになったわけです。
その時に「サロンを始める」ということは、
ロールプレイングゲームで、
「このミッションをこなさないとこの島から出られない」
というような儀式だと思いました。