――もう一つのキーワード
「境界」にも入っていきたいのですが…
アロマセラピーを始めたとき、
「皮膚に触る」ものだと思っていました?
私も最初に興味を持ったのが
こころと嗅覚の作用だったんです。
「揉む」ことに関しては、
資格を取るにあたって技術を習得せざるを得なかった。
でも、私は運動神経も悪くて、
学び初めの頃は施術がすごーく下手でした。
初めて触る授業は
ヘッドマッサージだったんですけれど、
カチカチに力が入っていた。
椅子に座っている人の頭をこう、
触るんですけれど、
「小松さん!そこ頭じゃないです!」とか言われて 笑。
おでこを思い切りつかんでいたんですけど、
そんなことがわからないぐらい身体に対しては意識が低かったですね。
緊張もしていたし。
この10何年で学びを深めて
解剖実習するまでに行き着きましたが、
改めてよく来たなと思いました 笑。
ここ最近の学びは二極化しています。
特に解剖実習から帰ってきて著しいのですが。
解剖で実際中身を見てしまった分、
「私はまだ筋肉や内臓のことを知らない」と思ったので、
今学ぼうと思っているのは内臓と筋肉のこと。
それと同時に一昨年ぐらいからの自分のムーヴメントとして、
やっぱりまたこころのこと。
それもご縁があって。
一昨年「ソマティックフェスタ」というのに声をかけて頂いて、
それが「ソマティック心理学」というものとの出会いになりました。
「ソマティック」って
ものすごくシンプルに言うと「こころと身体のつながり」のことで。
こころと身体に相互関係があるという前提に立って
身体と向き合ったりするというジャンルがある
ということを知りました。
――私は剣道をやっていたんですけれど…
剣道の世界では「気剣体一致」っていう言葉があります。
「気」と「剣」と「身体」を一致させる、
と普通に言われました。
こころと身体の相互関係に
「ソマティック」という言葉が与えられたのは
最近のことなんでしょうか。
実は、エサレン®の中に全部要素が入っていたんですけれどね。
エサレンは、1960年代に
「すごく知的なヒッピーたち」みたいな方たちが集まって始まったところで、
それがソマティックの創始者たちだったりします。
なので習ったエサレンの中に、
ソマティックの考えはスープに溶けたように入っていました。
今私は、そこの時にいただいたエッセンスの原材料に、
「あ、これセロリも入っていたんだ、ニンジンも!」
みたいに源流を読み解いている段階なんです。
「ソマティック心理学」の関係するセミナーに
自分も出させていただくことから、
自分も学びを深めていって。
他人の身体を触るのに、
こころを勉強していないのは
すごく片手落ちだなって、改めて感じています。
例えば、最近の活動でいうと
「日本タッチ協会」の立ち上げメンバーとして関わらせていただいて、
「タッチ」というのがどういう効果があるか
ということを、日々考えているのですが、
こころにも作用しているし、
情操教育にも役立つというところもあって。
やはり「触れる」ことも「こころ」と切り離せないところなんですよね。
解剖という超現実的な体験まで行き着いたけれど、
実際そこから導きだされるものは
原点回帰だったりします。
ご献体に対して、
ひとグループ5人ぐらいで解剖をするのですが、
ご献体って、自分の意志で生前にサインして下さっている方なんです。
その最後の意志みたいなものは、
バラバラに分解していく過程でも
ずっと宿っていると感じました。
スピリチュアルな「魂」、という話ではなく、
「その意志がなかったらこの人ここにいないんだな」という感じで。
そういう人の「意志」「意識」は
死してもまだ残るんだと感じたと同時に、
この人はもうどんなにメスを入れても
痛くもなんともなくって、どうぞ見てください、
という状態になっているわけなんだけれど。
ちなみに実際に解剖していくと、
皆さんがデポジットとして感じるであろうレイヤーにあるものは、
脂肪の塊なんです。
それは剥いで、見てきました。
特に手と、足の裏は、脂肪が分厚い。
なぜかというと身体全体を支えているから。
例えば、お年寄りが褥瘡を作ってしまいますが、
クッションとしての機能を脂肪層が果たしていますよね。
足裏は身体全てを支えるがゆえに、
他より脂肪層が密で、動きにくいんです。
その分厚い脂肪を取り除くと、
足底筋や筋膜が表れます。
では、私たちが思っていたデポジットとはなんだろう。
クラニオセイクラルの手法で頭蓋の縫合が
…といっても実際見てみると、
「これは動かないよね…」という話になることもある。
でもだからと言って
手技そのものを否定するのは違うと思うんです。
解剖で見ているものと
私たちが感じているものの違い。
それは単純に、
生きているものと
死んでいるものという違い。
常にふつふつと、新陳代謝が起きているか、
神経系からのインプットがあるかないか、とか。
さっき冒頭で山﨑さんは
「刺激を入れる」と仰ったけれど、
良くも悪くも私たちは
「刺激」がなかったらこの状態にたどり着いていないわけです。
刺激を敢えてしなかった赤ちゃんは、
死んでしまったりする。
刺激がなさすぎてちゃんと育つことができない。
途中から刺激を入れるようになっても、
最初の刺激のなさと成長の関係が、
将来的に情緒が不安定さを抱えたりする要因になり得る。
神経系にどんな刺激が入るか、ということが、
私たちを作り上げているし、
生きている者と死んだ者を分けているということを解剖を通して感じました。
だから私が「五感」を好きなのは、
「五感」って全部が刺激なんですよね。
五感をフルに活用したり、
刺激に対して素直に反応したりする神経の健やかさが、
人間として生まれた良さになるのかなと思います。