十音(以下略)――東洋医学をベースにしたリフレクソロジーをしていて、
東洋医学の「イマジン力」の魅力に傾いていたので、
解剖体験にわざわざ出かけて行かれた小松さんが
「何を知ってしまいたくて」ということに興味があったんです。
その質問をしたら、小松さんが、
「外の世界は観察してきたけれど、
自分の中はどうなっているか解らなかったから、
見てみたいと思って」と仰った。
解剖の解は「理解」の解ですが、
解剖していくことによって
ジョンさんをどんどん理解していく小松さんと、
リラックスした感じになっていくジョンさん
というのがつながって、感動しました。
養老猛司さんの本を読んだら、
「解剖」とは裂いて名づけて解りたいということだというようなことが書いてありました。
名づけることによって、機能を強要する。
職業も一緒で、
「セラピスト」「リフレクソロジスト」と名付けられたことにより、
セラピストという働き方をしなければと凝ってきたり。
小松――言葉でわけるというのは便利ですよね。
ソマティックな手法を学んでいく中で、
このモヤモヤする感じがあるとして、
そのモヤモヤを言葉で表していくというワークをしたことがあります。 「内観」みたいなものなんですけれど。
色でいうと?形で言うと?って。
いやな感じだからっていやな色にする必要はない。
出てきた色や形から症状を読み取るのではなくて、
自分のもやもやに、
自分のしっくりくるものを当てはめるということが大事で。
受け取るセラピスト側も
「へえ、青なんですね」以上は言わない。
「そうか、三角なんですか」
とただ相手の感覚を反復することをやっていると
もやもやが消失していくというセラピーの手法があります。
だから、なんだか解らないけれど、
人は言葉にすることで安心をするという側面もある。
だから私は言葉を否定するつもりは全くないし、
むしろ本当にすっきりする癒しのツールだとも思う。
一方で言葉で縛っちゃうことも結構ありますね。
今、闘病生活に入っている友人がリハビリを頑張っていて、
でも勉強したらそのリハビリは
「頑張らない」ということが最新のトレンドらしいんですね。
それを読んだその友人は
「がんばって褒められるのが生きがいだったのに、
どうしていいかわからない」と言う。
私が彼女に言ったのは
「もっと『楽に』リハビリを積み重ねたら、
もっと褒められる、というのはどう?」ということ。
リハビリに「精を出す」というより、
リハビリを「積み重ねる」ほうが
ちょっと温度が低くなると思って。
自分の中で言葉をうまくつかって、
潜在意識にいい意味で誤作動を起こさせないと。
ヒプノセラピーなども学んでいると、
本当に小さな言葉一つが大事で、
意識を変えていくことがわかるんです。
言葉の使い方については、
どうせ役に立たない心配をするんだったら、
自分の中の思考をどんどん良いほうの、
(それが引き寄せの法則、とかになっていくと思いますが)、
少しでも脳をしっかりとだませる、
自分にしっくりくる言葉を探すことだと思います。
それを探して、
これなら許容できるという言葉が見つかった時には
全細胞がそっちに向く感じが。
だから言葉は「縛る」けれども、
縛りによって自分への呪いになるのと同時に、
「幸せの呪文」にもなれるので、
使い分けを上手にするといいんじゃないかと。
無理やりセラピーに結び付けると、
セラピーの前後に私は結構会話するんですけれど、
そこで使う言葉にはすごく気を付けています。
どんなに無駄話しても、
負の方向にイメージがいく言葉は
なるべくチョイスしないことをモットーにしています。
セラピーの時って皆さんウトウトするでしょう。
あの状態って潜在意識の扉がぱかっと開く瞬間なので、
このあたりで言葉を発すると、
結構奥に入っていくんですよね。
セラピーの前には
どういう風により良い状態になりたいかを
イメージしてもらいたいし、
セラピー中にかける言葉も気をつけます。
――禊のようなセラピーというだけあって、呪いはかけたくないということですよね。