今朝、通っていた学校(自然療法の国際総合学院IMSI)の冨野玲子学院長から、
「卒業おめでとうございます」というメールをいただきました。
ということは、セラピューティック・リフレクソロジスト認定!
わたしは2期生だったのですが、日本での最初の卒業生なんだそうです。
思えば、1年前の4月3日にオーケストラ事務局への出勤を完了し、次の10年にむけて本格的なケーススタディに入ったのがその直後。
おかげさまで100以上取らなければならないケース(症例)ヒストリーも、
他の仕事をしながらも順調にとることができました。
もともとからかわれるほど分析好きな性格が功を奏し、
東洋医学的な見立ての課題にわくわくしながら、
絵を描くのも好きなので、
人の足の疾患をカラフルに色分けして(写真)、
レポートを仕上げることができたのです。
ほんとうに、「足を運んで」くださって、ありがとうございました。
わたしにとって足は、人と向かいあうのにちょうどよい距離間なのですが、
実際にクライアントに触れているということには絶大な安心感があります。
南アフリカでは国家資格の、ドーガン・インターナショナル(DI)認定セラピューティック・リフレクソロジーでは、
その「聴いて、見て、触れて、反応をもらって」得られる絶対的な情報がまずあって、
それに東洋医学的に経絡や五行からみた見立てをし、
疾患とライフスタイル、疾患とこころをつないでいきます。
同じ偏頭痛でも、AさんとBさんでは違うストーリーを持っていて、
改善のためのアドヴァイスも異なったものになります。
つまり、快復への道はどんな疾患でもオーダーメイドです。
DIリフレクソロジーがユニークなのは、
刺激のための親指の使い方が違う、という点以上に、
施術者が経絡を熟知し、いろいろと質問をしながら快復ストーリーをクライアントとつくるという共同作業にあると感じます。
見立てにはセンスが必要。
クライアントが納得するストーリーを作ることができなければ、
自発的な改善に結びつかず、
自己治癒力の発揮もしてもらえません。
いまセッションルームを開いていくにあたって、
この「ストーリー」を、どんな風にしたらクライアントが持ち帰りやすいかを考えています。
使うアタマの分野は
芸術に関わっている時とあまり変わらないところを使っているようで、
つまりは根本は、人をどう受け止めて、どう伝え、どう一緒に歩むかということであり、
つくづく一貫して「間(ま)」なんだなあと思うのでした。