ちかごろ木肌に触れるようにしています。
電気機器と同じく人間も「アース」が必要かな、と思うところあるからなのですが、
幸い雑司が谷には鬼子母神堂があり、
参道から境内まで大きな木に出会えます。
セッションの帰りにちょっと寄ってみてはいかがでしょうか。
自宅の鉢に植わったジャスミンも、はい性のローズマリーも、
時間がたつと、緑色の茎が茶色く、
木肌っぽくなってきて、
眺めていると気持ちがおちつきます。
そういえば、
夏が終わったというのに、
十音のジャスミンはとっても張り切っています。
(中秋の名月に、花も咲きました)
昨日座・高円寺で観た《ピノッキオ》の鼻みたい。
おじいさんが森で見つけた丸太も、すてきな木肌をもっていました。
そこから作られたピノッキオがたくさん愛され、たくさん愛し、
たくさん傷ついて、最後に人の肌を得る物語。
秋は五行の「金」の季節だといわれます。
金の経絡は肺経と大腸経。
どちらも「交換する」ことに強くかかわるという点で、
皮膚も同じ機能と分類されます。
金の要素が乱れると、
咳や皮膚疾患となって表れると言われています。
便秘になるとお肌が荒れる、というのも同じ流れ。
夏の終わりにちょっと焦って、
頭でっかちになっていたかもしれません。
もしくは、何にでもどっぷりと同調しすぎて客観性をなくし、
息がしにくくなっていたかも。
木肌は、境界線をひくことを教えてくれます。
木肌の向こうで、木が内包している時間をおもうととても不思議な気分になります。
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本日おやつに羊羹を食べました。
白黒していないグレイ色が美しかったです。
「間」はかぎりなくグラデーションの境界を含んでいるな、と思う次第。