東京文化会館へ、
エンリコ・オノフリというバロック・ヴァイオリニストのリサイタルを聴きに行ってきました。
リサイタルといっても、
演奏者はバロック・ヴァイオリン2名、バロック・チェロ、オルガン、チェンバロの総勢5名。
モダンのヴァイオリンには金属で巻かれた弦が使用され、
音が大きく響くようになっているのですが、
バロック・ヴァイオリン(古楽器)の弦はガット弦といって、
羊の腸を延ばしたものを裸のまま張っているので、
ちょっと芯の柔らかい、不安定な音がします。
リサイタルのテーマは「哀しみと情熱のはざまで」
バロック・ヴァイオリニストのエンリコ・オノフリの書く、
メランコリーの複雑さが、
古楽器の雑味のある音と掛け算になります。
そこで訴えられているのは、
現代よりももっと多重な状態を表すメランコリーのこと。
火山に例えられ、一見穏やかで安定していながらも内面は噴出する寸前のマグマに満たされているような人間のこと、そして噴出(=創造)のあとには瞬時にして静けさへ戻るその極端のこと。
苦い短音階の中に一筋の光明のようにあらわれるほの明るい音のこと。
今のわたしたちがともすれば「正常でない」と判断して目を背けたり、
抹消しようとするような人間の状態を、
16-17世紀の音楽の響きは見事に受け止めて反射してくるので、
見せつけられるようでもあり、
その美しさに、それでいいのだと思えたりします。
オノフリはイル・ジャルディーノ・アルモニコという古楽グループのソロコンサートマスターでした。
ぜひ、このグループの、パッヘルベルのカノンをぜひ聴いてみてください。
Il giardino armonico Canon D major
出だしからびっくりしていただけること間違いなし。
感じるままに。自由であれ。そのまま走れ。飛んでもよい。
と言われている気がします。
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写真は、朝のコーヒー。
湯気にふくふく。