あるポイントとなるようなセッションがあった。
クライアントは、
以前の仕事のボスだった。
仮設住宅がなくなるまで、東北へ室内楽を贈り続けるという人で、
2011年3月には、当時広報のネット分野の担当をしていたわたしは
発信の是非をめぐっての違和感をうまく言葉にできないまま、飲み屋で泣いてその人のスピードに抵抗していたと思う。
5年と半年過ぎても、あの日公式ツイッターを立ち上げるべきだったのかどうか答えが出ない、
つまりオーケストラ、という団体のような個人のような性格の音楽家とともに何かをなしとげる、ということがうまくできなかった。
はたらいた10年のうちほぼ半分を、
被災地に音楽を奏でる人を送るという仕事を横目にみて焦りを感じながら、
目の前に山積する教育プログラムについて考え続けられたということがどんなに、強烈な環境だったかということを思う。
いくら一流のアート・ワークショップを受けて回っても、
教育プログラムを作りまくったとしても、
そこで得られる思考の仕組みが自身の生き方に、仕事に落とし込めなければ、
社会とのつながりをつくることに使えなければ、意味はない。
あんたこれからどうしていくの?何も始めていないじゃない。
というボスだった人の問いかけがなかったら、
恐らくわたしはリフレクソロジーで社会とつながるという視点も持てなかったと思う。
組織を後ろ盾にも背負いもしなくなり、
個人商店としてリフレクソロジーを売るようになり、
今のわたしは起こってしまったこと例えば災害に対して、十音としてなにができるかを自分で判断し、実行していくことができるが、それは強烈な5年間のギリギリを切り抜けたおかげ。
例えばここからアートの要素を抜いてしまったら成り立たない、というようなことを、
アートを仕事とする人は組み立てなくてはならない。
リフレクソロジーもアートなので、十音にはセラピー業界での成功というのとはちょっと違う、はっきりとした役割を持たせなくてはならないと思っている。
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しかしリフレクソロジーで開業していなかったら、
このセッションも行われなかったわけです。
同じくギリギリの5年間を生き抜かれたであろうクライアントも、
あらたな人のつながりに身を投じ、
その方なりの3.11や東北との間合いを得ていた。
とっても現実的で行動があり、かつロマンがあり、興味深いプロジェクトのようです。
リライトプロジェクト
http://relight-project.org/