Space-Communication-Time-Ma
立教大学 社会デザイン研究所が主催されている、
「公共ホールのつくり方と動かし方を学ぶ」関連プログラム
”文化の居場所”研究会 に参加してみました。
アバンギャルドなちらし…
もともと目白近辺で2005-2008年に行われていた目白バ・ロック音楽祭や、
街を音楽で斬って切り口を語り合うような活動に関わる機会があり、
街や建築と音楽を「場」や「社交場」というキーワードで絡めるのが好きなのです。
それが高じて前職でも、ホール全館を使ったイベントや「ホールを(ハード面だけでなくて、ソフトの芸術も含めて)知る」という企画は担当させてもらえ、
つまり場づくりにあたってああだ、こうだと組み合わせること(=アイディアを出すこと)に
今でも燃えます。(なので雑司が谷手waza市、を「場」としてどう回していくかにも、技を磨くことと同じくらい燃えております。)
*
木曜夜、セッションも入っていなかったので、
自転車で10分、立教大学へ。
この日はセゾン文化財団常務理事の片山正夫さんのお話が柱でした。
私は学生時代から20年池袋をうろうろしていたはずなのに、
今の池袋西武の上階にかつてあり、約18年前1999年に閉館した西武美術館→セゾン美術館には行ったことがないのではないかと思います。
現代美術(といってもそんなに最最先端の尖ったものではないでしょ、と片山さんはリストを見ながら)に興味が向いていなかったし、流行りに鈍感でした。
興味は内に内に向かい、
街へ出ることもなく、
糸井重里さんのコピーも、ポスターのインパクトも、目に入っていなかったと思います。
そういえばウェーブで古楽とオペラの棚ばかり漁っていましたが、
「セゾングループ」という堤清二氏の築き上げた一大帝国としては見えていなかった、
ようは時代の流れとして見ていなかったのですね。
事業家としての堤清二について片山さんが語られることが興味深かった。
「クリアで戦略的な言葉は使ってくれない。
”企業の文化戦略”という言葉を嫌い、いち企業が文化を戦略として使うなどおこがましい、と言っていた。
具体的にアーティストが浮かんでいるときと、そうでないときがあって、そうでないときは『違和感』だけを述べる。これ違う、それも違う、と言っているうちに、自分でも方向が分かってきたのではないか。
言葉がポエムなので(その時は作家の辻井喬なんだなあ、と部下は理解したそうです)、部下で翻訳する人がいるんです。その人が堤さんはこう言っているんだ、と講釈するんですよ(笑)」
小さな粗利を積み上げていく百貨店という地味な形態と、
「入場者数なんて気にしない」成果を求めない文化事業部は当然ながら相入れなかったそう。
「ぶつかりながらやるんですか?」という教授の問に、
片山氏がおっしゃるには、
そこをマネジメントする、ということははなからあきらめられており、融和しようという気もない、最初から「触ってこない」
というのけぞりそうな、うらやましい答だった。
今の「文化の居場所」(ホール)を見ていて片山さんが思うこと、を教えて頂いた。
「インターネットがなかったというのは、幸せでしたね。
ニューアカデミズムが出てきたことからもわかる通り、
観客が難解なものに自ら向かっていく時代だったのです。
制約から生まれる自由がありました。
セゾン美術館だって、エレベーターの扉が開いたらまず真っ暗。そこに一本光の柱が立っていて、入り口がすごく向こう側にある。
陽がさんさんと降り注ぎ何も隠すものがないところより、
押入れの中のような狭い間口のほうが、
『居場所』として落ち着きませんか。」
*
さて、セゾングループに限らず、
70-80年代の芸術団体や文化のあり方に関して、
その時から「流れに乗っていた」、おそらく今の50-60代以上の方の話というのは、
忘れられた40代人たちや、
現場で知力体力ともに頼りにされているであろう30代人にとって、
勢い、元気、「ヘンな人度合」すべて合わせて、もううらやましいですね、いい時代だったのですね、としか言いようがない。
しかし待てよ、それって、
そういう風に、50-60代の方が話すからじゃないかな、
大きな優越感をもって、みなさん懐古するけれど。
そんなにいいもの、苦労もあったが良き ”ism” だったのなら、
次世代に継承すべくもう少し努力してほしかったと思うのです。
インターネットがなかろうがあろうが、
継ぐべき精神はあったはず。
時代が変わったから、と
その文化を閉じてしまった皆さんよく言えば潔くてかっこいいけれど、
悪く言えば、責任放棄、自分たちの時代さえ楽しければ、それでいいや、と私には見えます。
悪しき公平によって個性を埋没させ、
おおらかなカリスマの生まれにくい世の中にしたのは、
皮肉にも
公平もへったくれもなく、強烈なカリスマの土地とお金を使って楽しみまくった年代の先輩たちも、
片棒担いでおられまいか。
・・・そんな「?」を、この15年ぐらいずっと抱いてごそごそいっていることに、
「すかっとしないなあ、ヤマザキ!」と天から声が聞こえたので(?)そろそろやめましょう。
1:100の大きなサービスの流行りより
1:1の小さなサービスが100ケース集まっているところ。
そんなとこがこれからの文化の居場所になっていくのではないか、と。
きっとこれと同じようなことをおっしゃっている方、いっぱいいるけれど、
アクションにして腑に落ちたので。
だから十音という1:1を
雑司が谷手waza市という(1:1)×48 に掛け合わせ、
そこにどんな磁場が生まれるかということを、
わたしは興味津々で観察したいと思います。
アカデミーの中で語られる言説のエネルギーが、
実際の行動に落とし込まれていないことは多い。
場について語ることと、場をつくることと、
両方多いにやる者がいたほうがよかろう。