input.
どなたと写真を撮っても。
偉そうに見えてしまうのは仕方のないこと。
中学生からこうですから。
中身は根拠のない自信のなさであふれていることも多いのに。
パーソナル・セラピスト小松ゆり子さん主催
東洋医学の五行思想のうち、
精神のあり方を現す五神「魂、神、意、魄、志」については、
以前、腎のことを書いたときにちょっと書いたりもしました。
そのうち「志」に自分軸を作るということを出発点に、
「シャベリ場」なので、いろいろしゃべる。
(こういう場では、しゃべらず後悔するより、しゃべって後悔することを今はよしとし選択します、もしかしたら、お二人がしゃべるのを聞く、という会だったのかも…!←いまさら)
さて、自分の考えすぎるという性質があまりうまく働いてくれないと思っていました。
怒、喜、思、悲、恐と
その間に滲み出す細胞液のごとく、
名前の付けられないのでもっと始末の悪いもやもや。
苦いなあー!
そんな状態で伺ったのですが、結果、良かったです。
レコード会社の広報という前職からこの10年以上、
ボキャブラリーを研磨してきた小松ゆり子さんの発想の転換法と、
鈴木康玄さんの東洋医学の解釈、
どちらもほーぅ、と受け止めつつ、
皮膚に針でもさせばプシューっと吹き出そうな、自分の黒々としたフラストレーションに向かい合い、
自分軸ができたかはわかりませんが、どうしてブレるかはとにかく理由をつけました。
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セラピューティック・リフレクソロジーの創始インガ・ドーガンの五行の解釈も、
木火土金水を円形ではなく、
土を中心においた座標軸でとります。
火が四隅にあるのが変わってますけれど…。
(お相撲の土俵も東西南北の真ん中にある「土」ですね、)
真ん中に土を置くということは、土の精神のあり方である「思」も置くということで、
自ら考えること、が成長にとっても大事だと語っているように思います。
そして、「思」が「悩」ではないということ。
あくまで考え込むのは、
志を見出すためであり、
活動に移すためであるということ。
消化力は四方と相互関係のある揺れ動く土台であるということ。
しなやかにブレるから、いいのだということ。
わたしはこの「土」と「思」と土の経絡である消化の機能を考えたときに、
いつも自分の糠床を思い出します。
おいしい糠漬け作るには、
待つことが必要。
よく観察し、物思い、味わって、確認し、しかし腐敗させずに、代謝よく、想念を熱く燃やすこと。
セラピューティック・リフレクソロジーの手技自体は、
十音だと90分で終わる淡々とした刺激なのですが、
セッションルームに茶室のごとき、エネルギーに満ちた間を流すには、
リフレクソロジストに厚みを仕込むことも大事だと思いました。
今日食べたお昼。これも十音の土になるかと。
このあと渋谷まで歩き、D&Department や シブヤ・パブリッシングでまたいろいろと仕込んで、夜はオーチャードホールで「ケルティック能『鷹姫』」を体験してきました。
さて、複雑な糠床をうまく、機能させなくてはなりません。
その話はまた今度。