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わたしが町をあるくと。


ドラマトゥルク・レクチャーがあるというので、

日比谷へ行ってきました。

オペラの台本の行間を読む、という作業の楽しさを

本当にひさびさに(たぶん10年ぶりぐらいに)思い出したのですが、

考えてみればオペラの現場でなくても、やってきた作業かも。

このオペラ、初演は1896年のイタリアですけれど、

登場人物の若者たちの設定や会話が、

21世紀の我々(おもにフリーランサーでしょうか)にも「あるある」。

各シーンの解説をかんたんにすると、

◆クリスマスの夕方、

4人の売れない芸術家たちが、

その夜のための現金収入を得ようと(そして屋根裏部屋の寒さと)大奮闘しているシーンから始まります。

◆その中の一人の詩人(まあ、ライター)にお針子の彼女ができ、

その中の一人の絵描きが、パトロンのおじいちゃんを大立ち回りの末に目の前で捨てた元カノとよりをもどしたところで、

2幕まで終わり。

◆3幕ではこの2つのカップルが合コンならぬ合同別れ話に終始。

◆4幕めではほかの5人のまた奮闘にも関わらず、お針子の彼女が亡くなってしまう。

「わたしが町をあるくと」は、

元カノが再び絵描きの心を取り戻そうと歌う歌のタイトルです。

わたしが町をあるくと、

オトコたちが立ち止まってわたしを見るわ。

わたしのまわりに渦巻く欲望のにおいがわたしを幸せにするの!…

とか満足気に歌うけれど実はパトロンにあきあき、元カレの絵描きにメロメロという猟奇的なカノジョをめぐって、

まわりの男4人と女1人は

「あの子かわいそう」とか

「あいつ負けるぞ」とか

「俺はパイプとギリシャ語の本のほうがいいな~」(←いいですねえ)

とかつぶやく(歌う)という、

3分ぐらいのシーン。

大舞台では、誰が何を言っているか聴き取れないけれど、

誰かがなにかしら言っているので雑踏になっている。

音楽が言葉についていることを忘れるぐらい自然な時間がながれていて、

音楽が言葉についているからこそ聴衆にはわかることもいっぱいある。

今回日本語訳詞で上演されるので、

また「行間」が変わってくるようで、

それを19世紀末にいる作曲者のプッチーニと対話をするように、

大事に扱っている現場が見えるようなレクチャー(鼎談)でした。

↓ピアノスコアですね。20年ぶりに引っ張り出しました。

ところで、

書かれていることのつなぎや隙間を読んだり、解釈するということの豊かさが、

今やっていることにも実はあります。

十音は東洋医学的なリフレクソロジーという自然手技療法を選びましたが、

やっぱり「アート」だなあ、つながっているなあと思うのです。

読み解く楽しさをクライアントと共有したい。

ホームページの序文を変えました

セッションルームの写真を追加しました(PCでのみ見られます)

追記

オペラの名シーン、名セリフっていっぱいあると思うのですが、

「ラ・ボエーム」の中でもうひとつだけ熱く語らせて下さい。

4幕、絵描きでも詩人でもない、哲学者が、音楽家に、

「おのおののできることをやろう、俺はこれだ(外套を質屋にいれる)。お前は…やつらを二人きりにしてやれ」と声をかけます。

「4人の男のなかでは一番現実的で、やるべきことをさっさとやる男」(演出家談)である音楽家が、死にゆく友人を前にしたら、何もできることがないじゃんオレ、と打ちひしがれている、

という設定がまた…考えさせられるのでした。


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