母校IMSIでママクミさんのワークショップに参加してきました。
http://reiko-tomino-imsi.com/?eid=45
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わたしが「石」というのを意識したのは、
10歳のときに劇団仲間で見た演劇の「石の花」です。
1946年ソ連で映画にもなっているファンタジーで、
日本では戦後最初の色彩映画だったそうです。
http://movie.walkerplus.com/mv15352/
石工は素晴らしい作品を掘り賞賛されるが、
いつも絶望しています。
なぜなら、「その石が死んでいる」から。
山の女王は「生きた石の花を掘らせてやる」と石工を山へ誘い出します。
子どものわたしは、その演劇や映画で語られる、
石が生きているとか、死んでいるとかいうことを、
そういえば、何も違和感なしに受け止めていました。
自然から切り取られたものを、
木であれ石であれタンパク質であれ水であれ、
ああ、生きているな、死んでいるな、と感じ対話するたちだったということです。
子ども時代を生き抜くのに必要だったファンタジーの力でしょうかね。
わたしの場合は、あえてパワーストーンを探しもとめなくても、
日常の中でそういったことは身近に感じているような気がします。
人が自然にやっているエネルギーワークっていっぱいあって、
それを感じ取って言葉にしているか、
感じないようにして無視しているか、
それの違いなんじゃないかしら。
わたしはアカデミックにそういうことを理解しているわけではありませんが、
魔女とふつうの女の境界線なんて本当はなくて、
感じ取っている自分を認めるか否かなんじゃないかしらと思うのです。
これに参加したのは、「グラウンディング」の感覚ってどんなものなんだろう、という興味でした。
結果、グラウンディングの感覚はもうすでに知っており、
できてないことに焦りがあったんだなということに気が付きました。
呼吸が入らなくて、手足がつめたく、
ずっと痛みがある場所を無視している。
そういうことの方が多いです。
いつからそんなに耐えるようになっちゃったんでしょうね。
目が合った石をひとつ頂いてきました。
ブルーカルセドニーっていうんですって。
雑司ヶ谷にちょっとゆかりのある、ママクミさん。
学院長の冨野先生と一緒に、ぱちり。
先輩がいるって、心強い。