パイプオルガンというのは、
あの巨大な筒に空気を送って音が出るわけだが、
大事なのは、音の終わる時、その筒にぱたっと蓋を、
どのようにするか、ということなのだと、
あるオルガニストが教えてくださった。昔のこと。
その蓋のされ方を、弾き手がどのようにコントロールするかというと、
「指をどのように鍵盤から離すか」なのだそうです。
「声を出してしまえば、途中で全部修正できると、君は思っているんでしょう。
はじく楽器はそうはいかない。
弦をはじいちゃったら、それに責任持つしかない。
だから、触れる瞬間をもっと大事にします」
あるリュート奏者が、私の雑な声の出し方に溜息をついて、教えてくださった。昔のこと。
チェンバロ奏者は、鍵盤と連動した爪が弦をはじく瞬間、と言い、
ピアニストは、弦にハンマーをどのように当てるかなので、
ポイントは多いに違う。
ついでに、
現在96歳になる祖母は、昔、仏壇のおりんが何とかしてもっと良い音がでないものかと、
何度も角度を変えて叩いてみたことがある、と告白していた。
パイプオルガンの蓋がぱたっと閉まる情景(見たことがないけれど)と、親指が離れる瞬間。
今まさに弦をはじこうとする撥弦楽器奏者の指と、今、皮膚に触れようとしている私の指。
ちかごろ、セッション中に、音色のことを連想するようになった。
はじく、響いた、ぱたり(閉まる)。移動。はじく。響いた、ぱたり。
もくもくと、楽器を奏でるように、布を織るように、集中して足に触れた時は、
クライアントのデトックス感も大きい。
よく響いたということだと思う。
機(はた)を織る人の棹の動きを見ていて、
それとも似ているなと思ったりするが、また別の機会に。