映画『マリー・クロヤー』を見ました。
国立美術館の展覧会「スケーエン」では、透き通るような水色と白に心がざわざわしたけれど、
あれはスケーエンが海辺に興った芸術家村だったからこその、
異常な色なのだということがよくわかった。
風が強いところにずっといると、心が騒ぐ。芸術家たちにはその騒ぎが必要だったのかもしれない。
アリシア・ヴィキャンデルが、やはり海辺に住む女を演じた時のインタビューで「灯台守が気が狂うというのが分かる気がした」と言っていたし、「木を植える男」の村も、風が強く人々が精神を病む土地だったと思う。
美しいから人々が引き寄せられただけではないような気がしました。
なぜか見終わったあと、
絵画には執念が塗りこめられているのだなあと考えてしまった。
100年以上時を経て、人に見つめられている絵画にはまなざしの念も吸い込まれているようだ。
副題の割には、マリー自身の「芸術」は取り上げられなかったのが残念。
スケーエンにはアンカー夫妻という画家夫妻もいて、
実はわたしはそちらとクロヤー夫妻を混同していた。
上左ペーダー・セヴェリンと上右マリーのクロヤー夫妻の絵。
下左ミカエルと下右アンナのアンカー夫妻の絵。
妻の絵のほうが、室内で黙って思案している。
クロヤー夫妻のほうはちょっと筆の感じが似ていて、
夫の指南だったのかなと思うけれど、
アンカーさんは全然画風が違って妻のほうが、ちょっとぎょっとするような絵を描く。