そういえば、
先日、セッションに使うタオルを新しく仕入れました。
足湯を拭くタオル、眼にかけるタオル、オイルのときに敷くタオル、椅子に敷くタオル、身体をくるむタオル。
皮膚から伝わるものが必ずあると思っているので、
合計5枚のタオルは毎回、すべて石鹸で洗います。
そうすると、パイルがほどけてからまったりして、
どんどんヨレヨレになっていくのでした。
布ものは、洗って清潔に乾いていれば、
たとえ変色していても捨てられません。
糸が縦と横に組み合わされて面になる過程のエネルギーを
一瞬でゴミにする気にどうしてもなれないのです。
十音を開室するときに、友人たちがプレゼントしてくれたタオルは、
使い倒して随分くたびれてきたので、自宅用に…
長雨の合間を縫って、新しく届いたタオルを一度洗いました。
くたっとして、雑司ヶ谷のにおいになりました。
無印良品のくらしの良品研究所から発行されている
小冊子「くらし中心」
17号の「皮膚にびっくり」が腑におちて、良い気持ちです。
フットリフレクロソジーは、足と手の握手の場。
向かい合って話していてもしっくりしないことがあっても、
プラクティショナー(施術者)の手とクライアントの足の皮膚は正直なもので、
90分間の時間を経て共感することができると信じているところもあります。
わたしの手指のケラチノサイトと、クライアントの足のケラチノサイトの交感ですね。
小冊子の11ページの脳科学者アントニオ・ダマシオの言葉が印象的です。
「個体とその環境の境界をなす皮膚が、感情や意識に及ぼす影響が大きいだろう」
まさに東洋医学でいえば、肺・大腸経(金の要素)の性質かと。
これから秋を迎えるにあたってよいものを読みました。
陶芸家による「手技」を通した皮膚観察の考察も興味深いものでした。
皮膚感覚の中で、指先と唇が一番敏感。
とすると、「指先」を特に使うセラピューティック・リフレクソロジーのセッションで受け取る情報量はすごいものだということになるのですが、
それよりも、
酒を飲むのが好きな十音は、
手になじむ酒器、よりも唇になじむ酒器、という考え方があまり言われないのはどうしてだろうとずっと思っていました。
「どうぞお手にとってご覧ください」はあっても、
「どうぞ唇をあててみてください」はないですよね。
唇はプライヴェートなものだからでしょうか。唾液もあるし。
触れることについて考える時、交感と同時にその反対側の拒絶についても考えます。
ある人にすごく拒絶感を感じる時、
以前なら感情的なことしか原因にできなかったと思いますが、
今は、その人の皮膚の境界線でぴりぴりと起こっていることが、空気に溶けてここまで届いているかのようで、拒絶も一種の発信なのかもしれない、と感じることがあります。
これからだんだん、かかとや指の腹、母趾球、肺の反射区の乾燥が目立つ季節になります。
現代の環境のうるおいのなさから、個人の身体の中で起こっていることまで実に様々な原因があるようですが、皮膚で起こっていることはバリア機能の崩壊。
なんで崩壊したんだろ、と一緒にちょっと考えてみるのもいいかもしれません。
「アートとサイエンスをつなぐテーマとして、皮膚。」
主宰している「手waza市」も、「手技」というところにこだわりがあります。
1日に8時間人の足に触れ続けていると、
ぐるぐると頭で考えるよりも
わたしの手指の先が、感覚的にクライアントの状態を分からせてくれることがあって、
これは皮膚の思考力の修行場なのかなと思っています。