人に触れるというのは、
強い介入だし、
それだけで究極のお節介なのでしょう。
「いまは癒しの時代だそうで、誰もが癒しを求めているというが、本当にそうだろうか。
むしろ、どのように燃焼させればいいのかわからないエネルギーの存在を感じる」
(西村佳哲『自分の仕事をつくる』2009年)
精神の不完全燃焼が、
人の疲れや不健全に結びついているのだとしたら、
わたしは手技というお節介で、
精神的な完全燃焼を促すことを目指している。
うまく促すために
ふいごで風をいれたり、
マッチをもう一本落としたり、
おがくずを足したりすると、
クライアント自身が自分だけの炎を輝かせ始める。
方法/タイミング/強さ/量 の見極め、難しい。
最近個人的に考え、反省しきりなのは、
うちのようなセッションルームだと
手技でなくても刺激となりえる、
ことばについて。
ことばの選択についてもっと意識できるようでありたい。
Aにしなさい。
Aにしたら?
Aはどうですか?
Bもありますが、Aはどうですか?
Aがありますが、Bもあります
Aも、Bもあります
Aと、Bがあります
沈黙
↑わたしは今、どれ使うんだ、ということについて、
手技療法者でなくて何らかのファシリテートに関わる人も、
もう少したのしめたらよいのではないかと思う。
恐らく
究極のお節介マスターなら、
最後の3つだけしか使わないで
クライアントを完全燃焼させるのではないか。
この3つと手技を組み合わせて、
どういうしごとができるかと。