求められてもいないのに、
証を見立てるようなことはしてはいけないと思う。
求められてもいないのに、
あなたは経験不足だと言ったり、
あなたは不幸だと言ったり、
ジャッジするのと同じく。
不調を知りたくない人もいる。
少し知りたい人には、丁度よいだけの気づきがもたらされるといい。
線引きがむずかしい。
セラピューティック・リフレクソロジーは
コンサルテーション含めての
DI認定セラピューティック・リフレクソロジーであると思うけれど、
体験市では手技の体験にとどめたほうがいいかもしれない。
つまり、少し筋肉がほぐれたところにとどめて、
ほんのちょっとの生活習慣の振り返りだけする。
東洋医学的な考え方が好きだと、
どうしても「言いたがる」自分がいる。
お客様がよき占いにあたったように目を輝かせてくださると、
調子にのる自分もいる。
「セラピストのドヤ感」
というのは以前、パーソナル・セラピスト小松ゆり子さんの
ブログか講座案内で読んだ言葉で、
今、かみしめている。
わたしはセラピューティック・リフレクソロジストとして、
人の不調を言い立てながらドヤ顔していないだろうか。
少し特殊な専門性を謳うこともあり、
それに加えて
実際に触れて施術をさせていただいているという
臨床の強みのようなものに乗っかって、
人の不調を声高に述べ立てていないだろうか。
どうにもできなかったから、
どうしようもなかったから、
人は切実なその不調を抱える。
決してさぼっていたわけではなくて、
その人が自身の身体を発見したら、なんらか改善に向かう。
十音が「丁寧なくらし」とやらをできているわけでも、
クライアントより優れた健康維持ができているうわけでもない。
けれど、考えたり語ったりするだけでなく、自然手技療法者として
施術者自身の不調の範囲にしばられた見立てをもっと越えたい。
(今もしているつもりはないですが、もっと)
そのためにはたくさんの臨床経験が必要なのと、
経験値があがったらその還元を、
協力してくださったクライアントにしていきたい。