1か月前ちょっと前、6月26日、
ルネサンス・ダンスの研究者だったロレンツォ・ボナヴェントゥーラ・小澤高志のお骨(爪の先ほど、ほんの少し)をアッシジのオリーブ畑の土にお還ししてきました。
4月15日、小澤高志追悼のルネサンス・ダンス舞踏会というのがあって、
そこで15世紀のダンスを踊らせていただいたあと、
打ち上げで、おぢぢ(と呼ばれたいと小澤高志が言っていたので)のパートナー幸子さんから
最期の日のことなど伺い、
6月15日におぢぢも大好きだったイタリアへ旅に出るのだと話したら、
ほんの一部連れてって。
そういうことになりました。
FBのアルバムにもたびたび登場した「リラックマ」のケースに入っていたお骨は、
東京駅で幸子さんから受け取ったあと、
2、3日雑司ヶ谷に滞在。
おぢぢは山﨑家主催の『bar405』を「僕にとってはアルカディアのようなところ」と言って来たがってくれていたので、亡くなった後だが何日か酒宴をともにできてよかったと思う。
成田~機内~ミラノ~アッシジと
常に肩掛けポーチの中で一緒に移動し、
「聖堂の床下の棺に、人に蓋を踏まれながら埋葬されている」ことに憧れていたとのことで、
教会ごとに床に置かれ(可能であれば写真をとらせてもらい)
その土地のワインやビールを飲むと決めた毎日の食卓を共にし。
番頭が「アッシジまでは3人で旅をしていた」とFBに書く感覚の持ち主で、
いつもそわそわとポーチから取り出されるリラックマを当然のごとく受け容れてくれており、
2人+骨と霊、という珍道中は何か軸があり、楽しかったです。
川内有緒さんの『晴れたら空に骨まいて』も旅前に読んで行きました。
いつも骨を持ち歩くという初の感覚はけっこう刺激になりました。
この旅には自然と、「人間が生まれ、生きて、死ぬ」ということが通奏低音として流れることになったわけです。
骨と一緒ということになった時点で、
数あるスポットからどこに行くかと選ぶ基準が、
「生きるとか死ぬとか、歴史的に」
ということに定まったので、
人体解剖の歴史とともに、
その土地の大聖堂やカタコンベ、遺跡といったものがリストに入ってきました。
しかしむしろ、旅が終わって濃密な「生きるとか死ぬとか」として思い出すのは、
観光スポットとして大々的に死生観を謳っている場所の記憶ではなく、
旅人として疲れた目をあげたときに飛び込んできた、
淡々としたルーティンや、人のしごとの断片的な映像。
ポンペイの洗濯屋や、居酒屋の壺の前で立った時に、
むしろ火砕流が来る前のにぎやかな日常生活を想像したり、
トラステヴェレであまりの暑さに観光客のいない教会の片隅に座って、
幼い子どもの洗礼式に集まってくる家族が挨拶し合う様をぼんやりと見ていたり、
12時になったとたんに「教会閉めます~」と叫びながら
神父の横をすり抜けて大きな扉を閉め始めたクレモナの大聖堂の若者のそそくさ加減(彼女とランチデートでもあったんか)、
友人のまだ0歳(0ってすごすぎる)の赤ちゃんの、
汗でぬれた洋服のお腹部分とか、
「ばー(バナナのことですって)」をにこにこと消化していく強靭さとか!
↑鍵で遊んでゴキゲン。リフレクソロジー中。
アッシジのミネルヴァ神殿の入り口で昨日コインをあげた女性が、
翌朝の聖フランチェスコ教会のミサに男性と現れ、
席に座らず地下墓地に入って、出て来た、とか。
平日の昼からスマフォ依存症みたいになっている、レジ打ちの女の子とか。
明らかに失業中の青年たちとか。
たとえ、難民になったとしても、
炎天下の広場で、コインの入った紙コップに手をそえて
ずっとひれ伏していることになっても、
共通しているのは、
わたしたちは生きることを結構積極的に選んでいる
ということでした。
↑フィレンツェでは、偶然6月24日だったので、
聖ヨハネの祝日の古式サッカー行列を見ることができました。
布の質感はともかく、ルネサンスの装束姿の何百人の行進。
これをおぢぢが見せてくれたと思わずして。
どろりと濃い生者の中を、
生き返らない死者をつれて一緒に縫って歩く。
おじじの15世紀ダンスのユニット「スタジオ・オルフェオ」のメンバーとして、
死んだオルフェオの骨を持って歩くバッカスの巫女というか、
ちょっと変わったオルフェオの旅となりました。
時々、リラックマの中から、
「ほっほっほ、そなたたちは生きるがよい、歌舞くがよい」
というおじじの声が聞こえるようで。
さて、骨をお還ししたのは、
アッシジの壁の外。
オリーブ樹海を下ったところにひっそりとある、
サン・ダミアーノ教会の横の木々の間です。
投げました。
オリーブは長く生きると寿命1000年。
実に10世紀を見守ることになります。
実は油を生み、酒の肴となります。
粉と油があれば、パンも焼けます。
葉っぱは、洪水のあと、水が引いて大地が生まれたことを知らせてくれるらしい。
聖書によると。
(でも何日か水生していたと思われる。)
これから先、オリーブの実を食べるたびに、
生きるがよい、
と声がする気がする。
オリーブオイルを食すたびに、
歌舞けと言われる気がする。
奇しくも帰国後、
日本で死刑が行われ、
同時に、「死刑囚の最後の食事」を再現して撮り続ける写真家の作品が紹介されていて、
一粒の種在りオリーブの実
を選んだヴィクトルは、どんな声を聴いただろう
と思ったりしました。
今日、幸子さんから
五一わいんをいただきました。
二人以上の人が食卓につけば、そこには愛がある。
久しぶりに、あの珍道中を語り合いながら、番頭といただこうと思います。