リベラル・アーツ的に世界に興味があっただけなのですが
自分を要領悪い人間だと思っていました。
ある一つの事象についてさっさと知らなくてはならない時に、
周辺まで調べたくなってしまったり、
周辺を知らないとその事象を知ったと言えなかったり、
ある小さなことに関して、こだわりが強かったりします。
「要領を得た」回答が難しい。
短時間で要点を摂取して、さばさばと進んでいくことができない。
言いたいことは周りの事柄を巻き込んでしまうため、焦点がぼやける。
情報や、お気に入りは自分の内臓に蓄積していって、
時折熱をもち、潰瘍をつくったり、熱となってメドゥーサの髪みたいにうねったりします。
そんなに消化力が優れたほうではないので、
情とか熱が、だだもれになる。
結果、
「愛はあるが、けっこう感情的で、理解されがたい。」
というのが自分が自分に下してきた評価です。
しかし…
拘り、よく言えば思い入れの強さ。
それは世界を横断的にとらえる鍵になるかも。
要領悪いと言われながら蓄積してきた雑多なものことたちは、
ゆっくり化合させれば、
モノコトの解決の糸口をとらえてくれるセンサーになるのではないか。
発酵ってそういうことなんじゃないか。
要領だけを追求して
「関係ないから」「得にならんから」と
削ぎ落とすことは私にはできないのですが、
最近、蓄積が、不思議な化学反応を起こすようになりました。
要領の悪いリベラル・ワーカーは、
困難に対して底力があるかもしれぬ。
底力は時間をかけないと培えない。
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ジャスミンの蔓、1メートル以上が風にびよんびよんと揺れています。
バレエでも足は90度以上上がらなかった私には、
どうして水平に伸びることができるのか不思議。
行燈仕立ての技がないため、
この蔓は東西南北好きに伸びているので、
ちょっとすごい光景です。依存を知らないヤツ。