楽観的な血みどろ。
「天才」より「鬼才」、
「貴人」より「奇人」(より鬼神)
に魅かれる者にはたまらない、
クリムゾン・レッドとムラサキが飛び散る幕末浮世絵の世界!
ご縁あって練馬区立美術館「芳年」展に伺いました。
目の前に見た時には、
刺激で目が覚め、
帰ってきてからじわじわと効いています。
2種類の赤色を使い分け、
にかわで照りを出した血液の表現でも知られた絵師だそうですが、
色の対比と、
大胆なポージングに、
びっくり!です。
ポーズのおおもとである「足」筋や骨格の使い分けも、
そんなにデコボコしなくても!(笑)というやつあり、
膀胱の反射区ぽっこりだね~というむくんだやつもあり。
でも、趾に入った力が画面にすごい緊張感を出している。
絵師は足をあなどらない。
戦場に「取材」に行って描いたといいますから、
刑人の解剖をしまくったダ・ヴィンチとかと
精神は通ずるものが。
浮世絵のすごいところは、
絵師がいて、彫師がいて、摺師がいて、分業制だということ。
その誰の力量が欠けても、
作品の勢いがそがれるはずですが、
芳年の初擦作品の緊迫感はその3つがばっちり合っている感じ。
しつこい神経衰弱と闘いながらも、
彫師も摺師も巻き込む台風の眼のような人だったのだろうと想像する。
厳しい現場だったろうなと、
江戸のプロフェッションについて想像するとともに、
絵の題材がものすごく豪胆なので、
そのストーリーの力でみな集中力を引き出されたのかもしれない。
ああ、その現場を見てみたい。惚れちゃうだろうな。
もう一つ。
芳年さんは新聞社に挿絵を収めて大人気になった側面もあり、
ジャーナリズムとアートの関係も興味深い。
絵によって、記事が魅力的、煽情的に見えたであろうから。
同じ時代のヨーロッパのバロック絵画は
嵐を額に収めたもののようで、
緊迫感もどこか静謐な気分で眺めるのですが、
幕末の浮世絵は、
額を超えて風が吹いてきたり、
馬に蹴られた土が飛んできたり、
首から飛び散った血が飛んできたりするようで、
そわそわと、落ち着かない気分になる。
↑こんな画風の人だから、ぜったい魑魅魍魎好きだし、
「南総里見八犬伝」は使っているよねえ、と
南房総出身の番頭と一緒にさがしたら、ありました。
見ている自分の心がかぶく。
アンバランスはエネルギーを生むのか、少し元気になる。
どちらかというと、
浮世絵のエネルギーって
バロックの「音楽」のほうと似ている気がします。
この前、歌い手さんと、
バロック音楽のカストラート系の歌ってカッコよくて好きよねえ、と
セッションしながら話していたのですが(笑)、
つまり、「走りながら明るい調子で怒っている」みたいな勢い。
(男性の肺活量と女性の声域どちらも持った人のために書かれた曲なので、
人間ばなれしています)
浮世絵の血みどろシーンは、
扱っている題材は暗くとも、
結局ショウであり、
派手でなんぼであり、
見得を切って、
つまるところは楽観的なエネルギーが弾けています。
楽観的な画面には、
人間以外の五行が惜しみなく描かれて空気をぐわんぐわんと動かしている。
8月終わり。
実はちょっと停滞気味だったのですが、
脱する糸口は、
まわりの五行にご協力お願いしてどんどんかぶくことかもしれません。