子どもを産んだり育てたりできなくても、
立派なおとなに、人間になることはできるかもしれない。
人の居場所をつくり、
パブのビールを注ぐ人のような役割が、
できるかもしれない。
この本を5,6年ぶりに読み返して、そう思いました。
この3日間ぐらい、雑司が谷に缶詰めになることができます。
ここにいるぞと決めると、モノコトが動くというのは面白いことです。
朝の予約ははいっていないので、
遅く起き、きちんと朝を食べ、
番頭とそろってしごとをし、
夕方は走りに出て、
きちんと晩酌をする。
人には、
お金をかせぐためのしごとも、
生きるためのしごとも、
両方あります。
どちらかしかやっていないからと自分を責めることはない。
そういえば
骸骨ビルの庭に出てくる、
八木沢さんという男性は、
「待つ」ことが得意です。
古いビルに居座る住人を立ち退かせる役を背負って、
管理人室に住みますが、
出ていけと一言も言わず、
人に問わず、
人の意思を図りながら、
土を耕し、
土を作って、
苗を植えて、
害虫や雑草と日々格闘し、
きちんとご飯を食べ、
マイナスな言葉をいなし、
読書をし、
人と会話をします。
結果、1か月近く早くしごとを終えます。
特に、きゃべつを日々刻んだり、
オムレツを卵21個分食べたりと極端なのですが、
本人はいたって淡々としているところに安心感があります。
*
父が先日、
「お父さんの寿命があと10年だとして」と
さらっと言いました。
年齢を考えれば現実的な年数ではありますが、
自分がその年齢になったとき、
何かを「待てる」だろうか。
クリスマスをあと10回。
わたしは立派な大人にならなくてはいけないと思う。
*
さて、骸骨ビルの庭、は
上下巻ありますけれど、
講談社文庫の文字の大きさと行間が好きなわたしは、
装丁も好きだし、
めくる感触もよいし、
4夜ぐらいで、読み直し終えました。
どうも外国文学に食指が動かないのですが、
漢詩ぐらいからはじめて、翻訳本もいってみようかな。
読書の秋ですね。