十音は自他ともに認める「わかりにくいリフレクソロジスト」なのですが、 前に、手技療法を書き表すことは音楽を書き表すよりも容易くてありがたい、といったことを書きました。 わたしはSNSで音楽団体の中の人を担当することが多く、 自分が体験できていない未知の領域を期待しながら、他人をお誘いする文章を書かなくてはならないことも多かったからです。 しかしそれは、音楽と身体がバラバラだったから、言葉と身体もバラバラだったからだなと思う。宣伝文を量産しなければならない媒体さんは大変だな、ものすごく消化力がないと枯渇しそう。 でもあるアーティストが与えてくれた視点が、世界をどっと広げてくれることがある。イチロー選手の言葉もそうですが、やったひとの身体からしか絞り出されない言葉があるから、実践することと、実践する人に会うこと大事、と思った昨日のこと。
昨日取材に立ち会いさせてもらったポーランドの音楽家ヤヌシュ・プルシノフスキ。 セッションで舞曲が作られていくさまを目の前で独りで再現してくれる。すごい臨場感。軽く歌った後、1メートルぐらい歩く。だんだん部屋の空気が動く(もちろん彼が立ち上がった時からなぜか圧倒されるのですが)、足の運びはもちろん、頭の位置の上下さえも拍に組み込まれていく。「すると、だんだん回り始める、こうやって」。50㎝四方のスペースで長身のヤヌシュが控えめに回る。3と4が同時に鳴って、微分リズム(?なんてあるか)ですべての動きを飲み込んで、独特なゆらぎがたちのぼる。
ヨーロッパの舞曲の揺れは、グラーシュみたいなごった煮(、しかしすごくおいしいバランス)なんだわ。コンビニの菓子パンしか食べていなかった学生時代のすかすかなわたしが、ピアノで弾けるはずはありませんでした。はい。日本のピアノ教育は、まず、学生にゴハンちゃんと食べさせるところからだなあ…。 わかりにくいなものにも文法があり、セッションで自分の役目を果たせば呼び合って、いつのまにか「いい場」ができている。 ライブやダンスのワークショップに来てくださったらわかると思いますが、ヤヌシュは知的で上品でスター性があり、気難しいポーランドの農村のおじいちゃんたちに頼み込んで楽器を取り出してもらえる腰の低さと茶目っ気と強引さもきっとあり、場を読み、音を聴きとり、人の伝えようとすることを消化する努力をしている、とても味わい深い雰囲気を放つ方でした。 そして、あったこともないいち立会人であった私に一気にそれらを分かりやすく伝える存在でもありました。 何度も言いますが、ルネサンスダンスやバロックダンスを踊る方、ぜひダンスワークショップ付きで会いに行きましょう~! http://www.mplant.com/jpk/profile.html
最後にちょっと。十音は、リフレクソロジストとしてやっぱり複雑でわかりにくく、あろうと思います。説明してくれるのはきっと私自身ではないのだけれど、しかし、その複雑さを構成しているひとつひとつをわかりやすく伝える努力をしようと思います。 やっぱりわかりにくいですね。。。