雑司ヶ谷と、江古田をいったりきたりする毎日になって、1か月ちょっと経ちました。
レシートを整理していてびっくり。
出勤時の昼ごはんがほとんどコンビニ飯…
上野のホールに出ていた時には、
弁当とさえ呼ばないような超素材型弁当を(ほとんど毎日)やっていたのですが、
それさえもさぼっていたのです。
コンビニのご飯、その安定の品質を保つお商売手法は本当に尊敬しているのですが、
わたし実は、ツナおにぎりも昆布おにぎりもソーセージパンも同じ味のように感じている。
胡椒を一粒ひきすぎてしまった!というような
味や香りと自分の体調のセッションがなさ過ぎて、
なんだかこころと身体がスカスカになっていくように感じていました。
例えばオリーブオイルと塩で和えただけのキャベツをぼりぼりと噛んでいるだけでも、
コンビニエンスストアの鶏のから揚げ弁当よりも身体とこころにエネルギーが入って、
その日の午後のストレス耐性が上がるように思っています。
「しっかりとしたお昼ご飯」でなくてもよい、
「お昼ご飯をしっかり食べる」と、安心します。
お商売と、ご飯を食べることと、人間関係、
いろいろが大きく回転していくことにスカッとするので、
よく読み直す、宮本輝の小説。
写真は「流転の海」で、第9巻目が文庫本になってしまうのがこわいような、第8巻目です。
私はここに出てくる(おそらく宮本輝さんのお母さんの投影なのだろう)房江という女性像がとっても気になっています。
この巻では、悲しいことがあって、アル中で、
お酒を飲んで線路に寝て、路面電車を止めてしまうようなシーンもありますが、
宮本輝さんのエッセイだと、
彼が小説家になることに関して焦りや不安で癇癪を起すと、
そんなんだったら小説家なんてやめてしまいなはれと言い放つ母になるらしいので、
第9巻目をどきどきしながら待つ。
時同じくして、セッションをしながら、セッションルームに貼ってある白隠の描いた、
「おしごとをさぼっている観音さん(勝手に命名)」の絵葉書を見て、
最近うっとりするっていう言葉をまた忘れていたなと思う。
前のめりに計画をたて、
それどおりに他人が動いてくれないと言ってキイキイと騒いでしまうのですが、
なんだかそれって損な気がしてきました。
「機」というのはうっとり待っていれば訪れるんじゃないかしら。