十音の、施術の価格について、
ここしばらく考えています。
10分1000円というのは、この業界でよくある値段設定なのですけれど、
よく考えてみれば、
路面店に場所を持ち、複数のセラピストを雇い入れているお店が必要としている額だったりもするので、
わたしが十音を立ち上げる時には、
ちょっと違うんじゃないかと思っていました。
それに、わたしは自分が受ける時に50分では全く満足できないので…
(愛想笑いで終わってしあって、日常の中のひといきにも、ならない)
先人の言葉を聴ける大学の1講義とか、素敵な音楽家の1リサイタルぐらいの長さは欲しいと思っていました。
そうすると持ち時間120分の、施術時間90分は欲しかった。
10分1000円だと、毎回1万円コースになってしまいます。
そのリフレクソロジーに、月2回は、自分が通えないなと思いました。
食事やお酒のようにモノだけれど、消えて自分に吸い込まれて変換されてしまうモノ。
洋服や物のように手元に残るモノ。
物でさえない、記憶にしかのこらないかもしれないサービスというコト。
違う分野のモノコトの値段と、
私の手技ともてなしを並べてみて、
ここなら落とせるという一点が、1回券5000円の、回数券11000円という、
まさに「点」でした。
ほぼ日刊イトイ新聞に出ていた、染色家志村ふくみさんの学校の方のコメント。
モノやコトの価格について、考えた。
「「染織道」という言葉はありませんが、「道」としてそういうのがあって、実際にそれを仕事として成立させようと思うと、芸術的な活動以外に、その経済的な活動を両方考えないと結局いけなくなります。
矛盾だと思うのは、手仕事で2カ月ぐらいかかって着物1反織っても、上代が20万とか10万では絶対生活できないんです。
でも、20万とか、10万で売ってる人がいっぱいいるんです、草木染の作家で。仕事としては成立してなくて、食べられてないんですよ、すでに。
まあ材料費だけ稼げればいいっていう世界ですよね。最低やっぱり50万ぐらいでないと、材料費プラス自分のふた月の人件費が出ないんですが、けれど、その2カ月時間かかって作りました、っていうことに対して、市場がそれだけの評価をしてくれない。
ただ手仕事だからといって、50万出す人はなかなかいません。
「これだったら50万出してもいいわ」っていうふうに思ってくれないと、独りよがりになっちゃうじゃないですか。
そこがひじょうに厳しい世界というか。そこをどう伝えるか。
そこがぼくは経済を通じた社会改革っていうか、正当なものには正当なお金を出す、安ければいいっていうふうに思わないような社会になってくれれば、もっと手仕事をする人は増えると思うんです。そこがいちばん難しいと思っています。」