大学の音楽科へ進学するために、
小さな子どものころから聴音のトレーニングを受けていたおかげかもしれませんが、
音楽は聞こえたとたんに頭の中で楽譜になって、
聞こえている、というにとどまらない多くの情報をわたしにくれます。
特に音量に配慮されずに流れているCDの音楽は鬼門で、
人に話しかけられている内容が耳に入ってこなくなってしまうのでした。
音や音楽には侵食されやすいたちです。
例えば電話で話している横で誰かがしゃべると、
大きな声でもないのに電話の声がすっかり聞こえなくなってしまいます。
電話のむこうより、そこにあって触れている音が、どうもわたしの脳にとって優先順位が高いようです。
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しかし、音はうまく使えば、差し込むことで自分を客観的に感じることができます。
自分にぴったりくっついて固執していた思考を、
音に集中することで引きはがしてふわふわと漂わせることができる、とでも言いましょうか。
なのでリフレクソロジーのセッション中に置いておく、差し込む音も、
施術者であるわたしの状態と、
クライアントの状態を想像して、
トーンダウンもトーンアップもしすぎない刺激を選びます。
無音楽より好い空間をつくることが、今日できるかどうか。
できないと判断したクライアントには無音楽でセッションします。
十音の窓は東にひらけているので、
鳥や虫や雨風の声音だけで本来にぎやかです。
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オンラインCDショップの「雨と休日 http://ameto.biz/ 」から
「天体」というグループの写真のCDが届きました。
「天体」
このCD<voyage> http://ten-tai.com/voyage.html に収められている2曲は、
解説にもあるタイトル “私達が待つ音” の通り、
音と音の間の量が半端ありません。
最初の音が鳴ると、次の音まで10秒以上鍵盤が叩かれません。
繰り返される音のパターンが破られる瞬間も音楽を聴く醍醐味ですが、
続く沈黙が破られる瞬間の期待値も大したものです。
おっと、そう来たか、と、自分の期待との差異を愉しみます。
指から差し込む刺激も、
この音のようであるとよい、と思います。
しーん、と奏でられる音楽に伴奏されて、
クライアントのToneもよく立ち上ります。
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雷の音が大きな日でした。
ぴかっと光ると何秒後に鳴るかどきどきしながら数えてしまいます。
この空の沈黙が怖い。。。音が向こうから走ってきます。