客席にすわっているとき、自分がなにと向かい合っているか、
パフォーマーが舞台上で誰(何)と向かい合っているか、というのが気になってしかたないたちです。
パフォーマーが自分の中の何かと向き合っているのであれば、
客席のことは無視してもらって全然構わず、その闘いを客席から見てすごく満足して帰ることもあるし、巫女のように作者の声と対峙している身体をみて涙が出ることもあります。
パフォーマーの緊張はわたしの身体に来るので、
そういうときには無理に客席に笑いかけないでいいのに、と思って目を伏せます。
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昨夜は白寿ホールの、アンサンブル・サモスココス2016公演へ伺いました。
歌手の波多野睦美さんとお弟子さんたちの女声合唱グループで、声のラボのよう。
プログラムの意図をどんどん深読みするのも楽しみの一つ。
ヤニス・クセナキスという作曲家/建築家の「ヘレネ」という作品がメインプログラムでした。
女声2部の削ぎ落された音の重なり合いが、
ヘレネの御付の女性たちの叫び声のようにも聴こえる歌でした。
青いワンピースのダンサー(辻田暁さん)に、
翻弄される美しい人の怒りも感じました。
美人であるというのは昔(ギリシャ神話の世界ぐらい昔)のほうが、
現代よりも不幸なことだったんでしょうね…
(何しろ、神様たちが、いい加減ですからね、その時代は)
十音には、
アンコールの1曲目ハジダキス作曲「好きなの」が面白かったです。
ダンサーと歌手の一騎打ちでしたが、
動きと声がお互いを引き出しあう、向かい合いっぷりが。
そこでは、客席はとっても愛にみちた一枚の絵をみんなで鑑賞しているようで、
とても遠い憧れの世界を見ているようで、
居心地がよかったのです。
歌うって、息を吐くこと。
吐き方はいろいろ。とてもエネルギーを使います。
躍ることももちろん。
身体の中にオーケストラがごうごうと流れる感じ。
いつの間にか頭でっかちになって身体が省エネしているようで、
へとへとになるほど息を吐くということをしていません。
のども重いし、まさに「気滞」ではないですか!
来年の春に向けて、ごうごうと息を吐くようにします。
舞台上の女性たちは、決してカンペキではないけれど、
ただただ挑戦する姿をさらけ出していて、
本当に素敵だったなと思い出します。