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触れたい、触れたくない、触れられたい、触れられたくない のこと。


「ふれる」というのは人間のけっこう根本の、

深いところに差し込まれるお題ゆえ、

セミナーに4時間参加しただけなのですが、

最後には感情の袋がいっぱいになって、

涙が出そうになっている自分がいて、動揺しました。

「触れる」ワークを誘導されることへ、

(もちろん、誘導者はその道の第一人者の先生方なのですが、)

まずドギマギ、そしてああやっぱり、そして最後にちょっと残る、すこーしの怒り…

多分それは自分への怒りで、

この怒りをかみしめ、じっと見つめることが、

今日のわたしのワークなのだと思います。

寄り添い、やさしさ、気持ちの良さ、という言葉が多用されるにも関わらず、

セミナー全体から差し込まれる「問い」は挑発的でした。

オープンクエスチョンでもなく、クローズドクエスチョンでもなく。

内から突き上げて来る問いはいつも、

「あなたは、それについて気持ちよくないと感じているようですが?」

というもので、

触れることを職業としているのに、と、

アイデンティティがぽろっと欠けるような、体験。

それだけ、「タッチ」というのは、

それぞれのこころと人生に絡みついている記憶。

羊水の中に生き始めたときからの記憶ゆえ、

どうにもならないこともあるのです。

筋膜リリースで感情が噴き出ることがあるかのように、

このセミナーの刺激を受けて噴き出ているものは、

トラウマのデトックス。

ここは自分を利用したいと思います。

さて、

私のような者が、

他の人に触れることを商売にしてよいのかともいまさらながら

自問もしたのですが、

いろいろな理由があって、

「何も心配いらない、あなたはそれが天職だ」

と堂々と答えてやることにしました。

その気持ちを強くした、というのも今日のセミナーでわたしが得たこと。

今の私はまだ、タッチに対して、

あまり自由な気持ちになれませんし、

楽観的になれないところもありますが、

大事なのは、そこでプロフェッショナルとして

自分に対して常に問う(刺激を入れる)ことかなと思います。

自分が納得する言葉や手法を選んでいくことはすごくクリエイティブな作業です。

例えば、

わたしはひとの背中や、顔や、頭に手で触るより、

丁度よい距離だからフットリフレクソロジーを選びとっており、

「間」は常にテーマです。

そんな自分だからこそできるセッションを追求したいと思います。

ともかく、

日本タッチ協会、面白い。期待するとともに、刺激として利用させていただきます。


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